2020年10月18日日曜日

【焼鳥全般】焼鳥の歴史by焼き鳥アンバサダー

【鶏の祖先】
鶏の祖先と考えられる野鶏は、赤色野鶏、灰色野鶏、セイロン野鶏、緑襟野鶏の4種類。このうち現在広まっている鶏の原種は赤色野鶏だろう。新石器時代に朝鮮半島から日本に伝わった。

【食用としての鶏】
日本初の肉食禁止令が天武4年(676年)に出る。
平安時代になっても鶏は食用にする事はなく、闘鶏の為に使われていた。鳥と言えば、雉子、鴨、鶉等が食べられていたようだ。
当時は、野鳥は稲作の害になるので食べてしまえと。一方、鶏は朝鳴いてくれるし庭の雑穀を食べる。美しい姿で闘わせればいい娯楽になると考えられていた様だ。

江戸時代になるとようやく、鶏が食用として食べられる様になった。しかし、現在の様に串に刺して焼いていたのは鴨や雁等であった。庶民の間では鴨が主に食されていたが、徐々に鶏を食べる様になってくる。江戸末期になると雀を中心に焼鳥にする様になる。

当時は、鶏肉の事を京都や大阪では「かしわ」江戸では「しゃも」と呼んでいた。

1760年には軍鶏鍋屋「玉鐵」が誕生する。これが現在の人形町「玉ひで」である。

【やきとりの屋台が誕生】
明治になると牛鍋がブームとなるが、これに合わせて軍鶏屋が多く誕生する。中期になるとやきとりの屋台が誕生し鶏の臓物を蒲焼にしていた。

現在の鶏肉を串に刺して焼くスタイルは、神田にあった「ガラ萬」と呼ばれる店が始まりとされている。

牛鍋と共にとり鍋もブームとなっており、1897年には茅場町の「鳥徳」、神田の「ぼたん」、1909年には湯島の「鳥栄」が開業。

1893年(明治26年)に鰻屋の宮川本廛が開業。
1902年(明治35年)に宮川食鳥鶏卵が創業。現在の建物は1929年に竣工。
初代が宮川本廛に丁稚入り。その後かしわ販売部門が出来、それが別々の会社となった。

鰻屋にどうして鶏肉販売部門があるのか?問屋が同じで符丁が同じだったから。1、2、3、4をせん、り、かわ、つきと呼んだ業界用語。

江戸時代には「稲毛屋」と言うお店があって、夏には多摩川の川魚を売り、冬には鶏肉を売っていた。

確かではないが、この辺りがうなぎと焼鳥のお店が出来た頃ではないかと推測する。

一方、この時代の「やきとり」は、鳥肉だけではなく、牛や豚の臓物を使っていた。

1907年(明治40年)には、業務用卸として浅草6区で鳥藤が開業する。現在は築地にあります。

大正時代になり、1917年に新富町のさくら家(焼鳥屋は1939年から)、1921年に京橋の伊勢廣が開業。さくら家のさくらは、当時養鶏業を営んでいた千葉県の佐倉からきているそうだ。当時としては珍しい鶏肉のみの焼鳥屋。現在まで100年の歴史を経るとは凄いですね❗

その後、関東大震災が起こると、焼鳥の屋台が東京のあちこちに誕生する。豚の内臓を使った「焼きとん」が人気になる。

1924年には、東日本橋にある「江戸政」が屋台で開業。今でも店内には屋台がそのまま入っている。創業者渡辺政治の名前を取って、江戸っ子の政治なので「江戸政」になったのが由来。

昭和初期になると鶏を使った高額の焼鳥も誕生する。

1931年には銀座の「鳥繁」が屋台でスタート。ドライカレーの発祥のお店

第二次大戦後、闇市にやきとりの屋台が誕生する。当時、豚のホルモンはGHQの統制品外だった為、安くて手頃な焼きとんが流行った。丁度、1949年に営業を始めたのが、焼きとんで有名な新宿の「鳥茂」である。こちらは現在で創業71年、3代目の酒巻さんが大将。

焼鳥は表記によって意味が違います。
「焼き鳥」は鳥肉を焼いたもの、「やきとり」は鳥、牛、豚等の臓物を焼いたもの。

「鳥茂」さんの店名は、開業当時は焼きとんの事をやきとりと呼んでいたのでそこから鳥を、また当時の首相「吉田茂」から茂を取ったとの事。

1949年(昭和24年)宮川商店が開業。1969年(昭和44年)飲食部として、やきとり宮川が開業。

1954年には吉祥寺の人気店「いせや」が飲食店を始めます。

【焼鳥屋の普及】
焼鳥の大衆化は昭和30年代に登場した食肉用ブロイラーの普及による。鶏の価格が安くなり身近な食材になった。
この頃から大衆焼鳥店が多く登場する。サラリーマンが会社帰りに立ち寄る赤ちょうちんですね❗1973年には西荻窪の戎が開業。

一方、1964年には六本木の鳥長が開業する。現在の鳥しきのルーツとも言えるお店。ちょうちんと最初に名付けたのはここ。鳥しきの池川さんが元々いたのが鳥よし。この鳥よしの大将、猪股善人さんがいたのが鳥長です。猪股さんは、1974年から10年間フランスでやきとり屋をやっていた。

1978年には新橋の「鶏繁」が開業。

地鶏、銘柄鶏の開発は昭和60年代から本格的な取り組みを始める。現在までまだ30数年の歴史。ブロイラーを改良して味わいを高めたのが銘柄鶏。また、地鶏は雄には県のオリジナル性を重視した軍鶏や名古屋や比内、雌には増体性を重視したプリマスロック、ロードアイランドレッドを使っています。

【今日の焼鳥ブームの始まり】
1987年には阿佐ヶ谷にバードランドがオープン。奥久慈しゃもを使った新たな焼鳥のブームの始まり。1994年に前述の鳥よしが中目黒で開業。今日の焼鳥ブームの火付け役となったお店の始まりです。

その後、1999年には北千住にバードコート、2004年には蒼天が開業、それぞれの弟子達が独立し多くの人気店が出来た。

2013年には、「YAKITORIを世界に」をミッションとして「焼鳥達人の会」が設立される。日本中の名店が集結した大イベントが行われている。

最近では、七鳥目や鳥田中等串焼きのみならず、1品料理もコースで提供する鶏割烹スタイルが流行っている。

(参考)
全国やきとり連絡協議会HP
やきとりと日本人

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